2025.3.3(月)最高気温14度 雨のち雪
朝が一番気温が高く、夕方になればなるほど寒い日らしい。一番暖かいニットはクリーニングに出してしまったので、重ね着をした結果、少し暑くなったと思いながら歩く。病院へ行く前にお茶をして軽く作業をした。診察で実家に帰ったことと、新婦人を辞めたことを話したけれど、なんかあまりスッキリしなかった。言語化はできるけれど、落とし込めるのはどうやらまだまだ先みたい。
サンドイッチと野菜を載せたラーメンという心配になるお昼を食べた後、強烈に眠くなり、昼寝をして起きたら生理になっていた。だんだん生理周期がめちゃくちゃになっているので、閉経する数年前というのはこういう感じなんだろう。仕事をして、夜ご飯は軽くしようと決めていたのに、夕方になったらちゃんとお腹が空いたので蒸したブロッコリーと中華雑炊を作って食べた。あ、もしかしてちゃんと軽くできてる?
3.4(火)最高気温7度 曇りのち雨(雪)
午後から4時間近くの映画を観ようと出かけたけれど、途中で恩師が亡くなったとの報が入った。ショックがじんわりとやってきて、えっ、どうしようと商業ビルの中を魚のようにぐるぐる廻って、最近好きなパン屋でサンドイッチと焼きたての食パンを買って帰って来た。ほんのり温かいパンを家でむさぼり食べ、明日から不在にするかもしれないのに、なんでこんなにパンをたくさんと己に呆れたりもした。
なんか色々頭が働かず、何もできず、人を求めてボイチャに入ってイントロ早押しクイズをやってもらったりしたけれど、やっぱりボーっとしたままで早く寝た。
3.5(水)最高気温9度 雨(東京)
帰省するので冷蔵庫をなるべくダイエットさせるべく、目玉焼き、食パン、昨日の残りの豚汁、いちご、ブロッコリーという豪華な朝ごはん。食パンがまだまだあるので、悩んだ末、持って帰ろうかなとジップロックに詰めた。各所に今日から金曜まで帰省しているので、対面での対応ができないことを伝えてパソコンをしまう。ああ、もう思いのほか動揺している。
昨年末期がんだと聞いていたし、その後も生活の様子を伝え聞いていたので、いつかは来ると分かってはいたのだけれどやっぱりしんどい。この一年頻回に会っていたわけではないし、分からなかったことの方が多いから、もっとドライに受け止められるかと思っていたけれど、全くできず「受容って大変だなあ」とぼんやり思ったりしていた。ぽつりと呑気に響く、自分の言葉にすら今は少し苛立つ。
情緒がめちゃくちゃで色々入ったキャリーを引きながら、雨の中駅へ。食パンも、なぜか半分冷凍し、半分ジップロックに入れて突っ込んできた。パンの位置によっては潰れてしまうので、駅に着いたら座って直そうとたくらむ。あっ、コンシーラー忘れたんじゃないか。どちらにせよ「お別れ」をするのが目的だからメイク道具なんてどうでもいいんだけれど。でもこんなに大きいバッグを引いているのに、使う可能性が高いものを忘れたということは、なんだかんだダメージを与える。駅についてパンの位置を上にずらして、コンシーラーが入ってそうなところをまさぐったけれど、やっぱり無かった。もういいや別に。
経由する駅で、わざわざ少し濡れて歩いて権兵衛のおにぎりを2個買った。東京駅に着いたらなんだかんだいい時間で、空いている車内でおにぎりを食べる。大学3年とか4年の時、鬱が酷くて、よく泣きながら新幹線に乗って帰省していた。この頻回さはあの頃にそっくりで、帰ったはいいものの、家にいることがなかなかできず、「教室」で寝かせてもらったり、うどんを食べさせてもらったりした。あの当時は清潔とは言えなかった古い家で、ぼろい毛布をかけて寝たからダニに刺されたこともあった。結果しか見ない父が、留年するという事実に激高し、大学を辞めろと詰め寄られたことがあって、その時に先生夫婦が「何かを成し遂げるという経験は自信になるから、大学を卒業させてあげて欲しい」と父に頼んだということも後で聞いた。あの時からずっと生きていく自信が無くて、自棄になっていて、でも踏ん張れた理由の一つは、他人であるあの人たちが味方してくれたことにある。こういうエピソードを挙げたらキリがないくらい、本当に世話になったんだ。結婚の報告をした時にも、先生に言えたことが嬉しくて泣いた。こういう生徒は私だけではないだろう。完ぺきにいい人じゃなかったけれど、一生忘れられない。
弟の運転する車で家に着いたら、母がキャリーバッグを拭くためのシートを持って現れ、礼を言って拭いて二階に上がった。お腹は特に空いていなかったけれど、パンが無事だったので、パンにバターを塗って食べた。
3.6(木)最高気温6度 くもり(新潟)
セロリのすじ取りがうまくいかず諦める。するする取れる時と取れないときの差が激しくて、今日はできない日だったらしい。ポトフを煮込みながら簡単な作業。とりあえず終え、あまりにも眠いので軽く寝てまた戻ったら弟(なおき)が来ていた。少し話をしたけれど、「なんか姉ちゃんと話しているとずっと怒られているような気持になる」と言われ、納得がいかない。ご飯の後に母に話したら「痛いところ突かれたんじゃないの」と返された。他人に対し高圧的になってしまうところがあって、それが出たのかと思ったけれど、そうではないのでは説、発動。だったらいいけど。なおきは私のことをバカにしていることを隠すスキルが無いので、本当に嫌だ。
彼の中では「お金を持っている人」が一番偉くて、それ以外はそこそこどうでもいいらしい。そういう一発逆転ストーリーが好きなのだろうけれど、自分がそこに行けなくなった時はどうなんだろう。イーロンみたいな人が一番偉い世界ってどういう感じ?そういうストーリーがいいなんて全く思えないんだけど、家庭とかの中だけの話なのかな。あまりにも価値観が違うので、聞こうとも思わないけれど、こういう所がだめなんだろうか。金を持って威張っている人よりも、掃除をしてご飯を作る人の方が家を維持していて立派だ。私はそういうストーリーが居心地がいいけれど、これは「負け犬の遠吠え」的なことなのか分からない。そういえば、あの本結局読んでないや。
それにしても、実家は気疲れして眠くなる、ということで午後も昼寝をした。
3.7(金)新潟はくもり、東京は晴れ
「雪が降るなんて言ってたけれど、降りそうもないね」と黒づくめの3人で空を見あげる。寒かったらかなわないからとりあえず良かった。斎場に入ったら、知っている顔があって「いつ来たの」と声をかける。スニーカーで来たっていうのが同じだ。とりあえずお別れと、ご焼香をして棺を覗いた。
顔に綿を詰めて少しふっくらさせているけれど、分かる。後から来た知らない人も「先生、痩せたね」と言っていた。記憶の中の先生は太ってて、ベルトで頑張ってズボンを留めている。昨年「体重が半分になった」と言っていたけれど、また小さくなっていた。
入れ違いで幼馴染がやってきて、すでに涙目だ。「顔を見る勇気が出ない」と言っていて、「カンちゃんもまた行こう」と言われたのでもう一度顔を見に入る。「あの時のこと、本当にすっごく覚えているからさ、濃かったんだなって思う」と言ってた。これ昨年も聞いた。「あんなにさ、土日もよく見てくれたって思うよね」と2人でうんうんと慰め合う。表で別れて、昨年偲ぶ会をやったメンバーがコーヒーを飲みに行くというので一緒に行く。荷物を母の車から出して、乗せてもらった。偶然先生夫婦の高校の同級生たちに会えて、昔の話を沢山聞けた。
新幹線で映画を観ながら、実家で握って来たすじこおにぎりを食べたけれど、あまり覚えていない。東京に着いて、電車を待っているときに、ああもういないんだとじんわりやってくる。辛い時に電話をかけれないし、手紙を書いても、もう届かない。カフェで「また、帰っても行くところが無くなった」と言っていた人がいたけれど、その通りで、居場所というのは、維持している人がいて初めて成り立って、それはずっとあるものではないという実感が来る。昨夜母が言っていた、「先生、カンミは40歳からだってよく言ってくれてたよね。焦らせるでもなく、信じてくれてて、いい言葉だなって思った」というのが蘇る。女先生も男先生も「カンミちゃんみたいな人がいる、ってことが光になることがあるから」と励ましてくれていた。その時はとにかく辛かったから、「そんなの今来ないと意味ないよ」と思ったし、言ったこともあった。「私のような人」ってどういうこと?生きるのが大変な人ってこと?それとももっと別の意味?考えてももう分からない。なんで聞いておかなかったんだろう。あの頃の自分の辛さも蘇って、新橋まで泣いてしまい、マスクがびしょびしょになったし、眼鏡は白くなった。もっと話せたことがあったんじゃないか、寂しいと感じさせてしまったのではないか、という反省がある。できたことがあったとは思えないし、どうしたらいいか今も分からないけど、やっぱり寂しい。もう本当にいないんだもん。一日葬だから、もうすぐ骨になる。
家に帰って、日焼け止めを塗り直しておやつを食べに行った。東京が晴れってことも、見えていたのに見えてなかった。青い空の中に月がある。
3.8(土)最高気温7度 曇りのち雨
泣きそうになりながら仕事の準備。本当は休みたかったけれど、「急すぎる」と言われて仕方ない。早く上がれることにはなったのでとりあえず良かった。歩きながら泣きそうになって、もう何で泣いているのか分からない。早く気持ちを切り替えたい。仕事をしても、しょっちゅう気がそぞろになってしまった。
帰りにスニーカーソックスを買いに無印に行ったのだけれど、エスカレーターであまりにもボーっとして、なかなか目的地に着かなかった。明日はちゃんとしたいけれど、上手くいくかな。
3.9(日)最高気温13度 晴れ
生理の経血が付いたままのふかふかシーツに洗剤をたっぷりつけて洗った。新潟に帰る日の朝についたもので、天気のこともあってなかなかできなかった。図書館で本を返却して、らぷらすにルッキズムの講座を聞きに行くべく出発。先生の置いていった本、結局どうするんだろう。
以前新婦人の「次世代」のみんなでランチした時に、そのうちの1人が「たまに買う美味しいパン屋さん」として教えてくれたお店でフィッシュサンドとパンを2つ買った。らぷらすは「においの強くないもの」なら飲食可能なスペースがあって、そこも好きなところ。紙パックのトマトジュースと一緒にサンドイッチを食べた。
西倉実季さんという方が講師で、普段は東京理科大学で教えているそう。「専門は社会学なので、今日は自分の専門分野で話せるので楽しみにしていました」と始めてくれた。著書を読んだことがないかもと思ったけれど、現代思想の『ルッキズムを考える』の書影があったので、これなら読んだぞ、しかも家にあるはずだ。帰ったら探してみよう。
講座はすごく分かりやすかった。最後に西倉先生が「私はルッキズムに関しては、立てられるべき問いがまだ立てられていない状態だと思っている」という内容のことを言っていたのが印象的だった。そもそも最近聞くようになった言葉で、まだ語られていないことが沢山あるという印象を受ける。講座の後に座談会があったのだけれど、そこでもそういう印象を受けた。本来社会の問題であるはずのことが、個人の問題だと矮小化されているという印象を受けた。摂食障害になった時も「心の問題」という風なことがしきりに強調されていた記憶がある。
全部終わった後に、らぷらすメンバーでミーティングがあって、そこで「今日が最後なんで」とおやつを配ってくれた人がいて、速攻で食べた。なんだかすごくうれしかったし、美味しかった。