どうやら来週の日曜日には40歳みたいです。ついこの前30歳になったばかりなのに、時の流れは速いもんだ。
ちょうど王谷晶『40歳だけれど大人になりたい』を読み終えたところだった。エッセイなのだけれど、作中で王谷さんがお母さんに「大人ってどういう状態だと思う?」と聞いたら「責任感を持つことと、過去を振り返って反省すること」という返答を受け、周囲にそれ出来てる大人めっちゃ少ないじゃんと思う場面がある。私もそう思います、王谷さん。仲間ですね。
日本の政治家もそうだし、身近なところで言えば自分の父親もそう。父に至っては、自分の父親(祖父)に「金持ってるだけの子供」とまで言われていた。これを父が知ったら烈火のごとく怒るか泣きそうなので墓まで持っていこうと思ったんですけれど、やめます。どうせ父、読まないし。(その時がもしきたら修正します)そもそもこれは祖父に「だからお前が我慢しろ」という文脈で言われたので、結構根に持ってます。子供にそういうことを言わないといけない家って何なんだ。なんか思い出して腹が立ってきたぞ。
話が大幅に逸れましたが、それでも父が立派だなって思うのは「金を持っていること」。私なんて金さえ持っていない。知識と文章力が人よりあるとは思っているけれど、それって今の時代で「大人が切っていいカード」なのか?それを重要視される職場とかってどんなところ?作家とか代筆業?残念ながらどちらにも就いていません。
少し前まで母方の祖父にガチの無職だと思われていて、「おまえは東京で今、働いたりしてるの?」と聞かれたこともある。それが6年くらい前だったかな。どうですか、結構最近ですよね。今もSNSには私を無職だって思っている人は結構いると思う。分かる分かる、私暇すぎだもん。実際働いていない期間もそこそこ長かったし、別に無職とか暇人って思われることに何の抵抗もないのでそう思ってくれても構わない。家族もいないし。でもそれ多分、多くの中年は不快になるし、私が女性っていうことも関係しているんだと思う。洗濯機が登場して、水を汲みに行かなくて良くなっても現代人は忙しすぎる。
10年近く前かな、親からの自立っていうことを一所懸命考えていた時期があって、その頃自分が小さくたどり着いた結論は「経済的自立だけが自立ではない」ということ。なんか世の中って「自立」っていうと経済的なものを想像しすぎじゃないかって。精神的に親も子供を手放せないパターンもちらほらあるし、「依存」っていう言葉の強さもあるのだろうけれど、今の自分はようやく親から精神的に自立できてきた状態だと思っている。最近各々の境界線とか、そういうものが映画『ドッグウィル』の村の間取り図みたいに見えてきて、やっと人との距離が昔より取れてきた気がする。
書いててビビるな、40歳でこれ?
世の中から押し付けた役割とか、そういうものを少しずつ頭の中から消し去れるようになって、わきまえずに自分の意見を言えることが増えてきた。そして自分との対話を重ねていった結果、結婚とかそういうものも本当にどうでもよくなった。それだけで大きな進歩でしょ、違いますかね。「自分でやりたい」が増えることが何よりも尊いことのように感じる。
誕生日は9月10日、セーラーマーキュリーと同じ誕生日です。少し前にマストドンで「私を推す人はその日におやつを食べてください」と言ったら沢山反応があって嬉しかった。9月9日は前夜祭、9月11日は後夜祭です。短い時間でもみんなが楽しく、いい気持ちで過ごして欲しいです。この図々しさも40歳のものとは思えないけれど、どうぞよしなに。