終戦記念日を迎えるにあたって、決意のようなもの
もうすぐ終戦記念日だ。この日にスピーチを頼まれていて、原稿を考えるにあたって、色々思い出したことを書いていこうと思う。
私が通っていた小学校も中学校も、平和教育というものが特になく、原爆投下の最終候補地に新潟が入っていたことも、8月10日に焼夷弾の空襲が起きていたことも大人になってから知った。軍需産業が発展していたということも知らなかった。
その中で1つ覚えていることが、小学校の時に祖父母に戦争体験の話を聞く、という課題があったことだ。祖父母の部屋は家の中でも奥まった場所にあり、蚊帳がある薄暗い部屋にノートを持って行って聞いたのだけれど、申し訳ないことにそんなに覚えていない。そもそもフォーマットが無いインタビューを子どもにさせるなんて無理がある。でもその中で強烈に覚えているのが、祖父が言った「GHQとかなんだとか、わからない。今まで神様だと言っていた天皇陛下が急に人間だということになり、いつの間にかアメリカがやって来た。信じていたものが全部嘘だったということになった」という内容だった。
この「何が何だか分からないものに巻き込まれた」というのが戦争なんだという印象が今も自分には色濃くあり、それは決して的外れではないのだと思う。第二次世界大戦というものがどういうものだったのか、と考えていくと、世界的には軍人よりも民間の方が犠牲になった戦争ということになるそうだ。日本では軍人のほうが犠牲の数が多いそうだけれど、じゃあ日本に無理やり連れられてきた朝鮮の人たちとかはちゃんと数に入っているのかと思うし、沖縄戦の時に住民を守らない軍隊がいたとか、集団自決が促されたという事実もある。とにかくとんでもない話で、考えるのが辛くなることばかりだけれど、考えていくことが今の自分たちの義務だ。
ようやく最近になって、戦争トラウマの話がされるようになった。何度か日記エッセイでも書いたような気がするけれど、うちの祖母は男児を産むこと、家を存続させることに必死だった。これが「銃後を守る女としての使命」からくるものではないと言い切れない。そういう祖母に自分はしょっちゅう怒られ、「弟を守るように」言われ、正直恨んでもいる。けれど、もしこれが祖母の傷からくるものなのだとしたら、自分は明らかに戦争が残したものの中に生きているのだ。
戦争により、家族を、生活を、命を強制的に奪われた人、日本が侵略した土地で、日本軍の都合で生活を、命を奪われた人たち、慰安婦として強制的に搾取された女性達、全ての人に哀悼の意と、もうこのようなことを繰り返さぬよう抗うことを誓ってこの文を終わります。そして、今もアメリカ軍の基地があることで、強制的に加担させられていることへの抗議も含め。
「戦争反対、平和最高」

